サムの息子法とは何か?犯罪者が犯罪で利益を得ることを禁じる米国法の全貌と日本への示唆
サムの息子法は、1977年にアメリカ・ニューヨーク州で生まれた法律であり、凶悪犯罪者が自らの犯行を題材にした書籍、映画、インタビューなどのメディア契約で金銭的利益を得ることを禁止するために制定された。その名の由来は、1976年から77年にかけてニューヨーク市を恐怖に陥れた連続殺人犯デヴィッド・バーコウィッツ、通称「サムの息子」にある。彼が逮捕後、自らの犯行回顧録の出版権をめぐって多額の報酬を受け取ろうとしていることが明るみに出たとき、市民の怒りは爆発した。その怒りが、一つの法律を生んだ。
法の歴史を紐解けば、単なる刑事政策の話にとどまらない。被害者の尊厳、表現の自由、そして犯罪者の「物語化」がいかに社会に影響を与えるか、という根深い問いが浮かび上がる。サムの息子法は、その後アメリカ全土の多くの州で類似する立法が展開され、現在では40以上の州が何らかの形の「犯罪収益剥奪法」を制定している。2026年の現在においても、この法律の概念は動画配信プラットフォームやSNSの時代にどう適用されるかという点で、専門家たちの間で活発な議論が続いている。
サムの息子法が生まれた背景――バーコウィッツ事件の衝撃
1976年7月から1977年8月にかけて、ニューヨーク市はかつてない恐怖に包まれた。デヴィッド・バーコウィッツは6人を殺害し、7人を負傷させた。彼が使用した.44口径の拳銃から、メディアは彼を「.44口径の殺人者」と呼んだが、やがて自ら「サムの息子」と名乗る手紙を警察や報道機関に送りつけるようになった。
逮捕後、出版社や映画会社が彼のもとに殺到した。その金額は現在の価値に換算すれば数億円規模とも言われる。被害者遺族はテレビの前でそのニュースを聞き、言葉を失った。「なぜ、私たちの家族の命を奪った男が、その犯行で豊かになれるのか」――この問いが、ニューヨーク州議会を動かした。同年、議員たちはわずか数カ月という異例のスピードで立法化を成立させた。怒りは、時として法律よりも速く走る。
法律の具体的な仕組みと収益の行方
サムの息子法の骨格はシンプルだ。有罪判決を受けた犯罪者が、自らの犯行に関連するコンテンツ制作(出版、映画、インタビュー、講演など)で収益を得た場合、その資金は被害者補償基金に自動的に差し押さえられる。犯罪者が直接受け取ることは許されない。
ニューヨーク州では、犯罪者が獲得した収益の一部または全額が州の「犯罪被害者委員会(OVS)」に移管され、被害者側からの申請に応じて補償として支払われる仕組みになっている。重要なのは、犯罪者本人だけでなく、その代理人や家族を通じた迂回取引も規制の対象になっている点だ。法の抜け穴を塞ぐための条項が、後に追加されている。
ただし実際の運用は複雑で、弁護士費用の支払いや家族の生活費といった「犯罪とは直接関係のない支出」については、どこまでが法律の適用範囲かをめぐって訴訟が繰り返されてきた。
合衆国最高裁判所の判決――表現の自由との激突
1991年、この法律は大きな試練を迎えた。ヘンリー・ヒル事件だ。マフィアの内部告発者として名を馳せたヒルは、自らの半生を描いた回顧録の出版権をめぐってニューヨーク州と法廷で争った。最終的に合衆国最高裁判所は1992年、「サイモン&シュスター社対ニューヨーク州犯罪被害者委員会」事件において、ニューヨーク州の当初版サムの息子法を違憲と判断した。
問題とされたのは、法律の「内容に基づく規制」だった。つまり「犯罪についての表現」だけを規制するという点が、修正第一条(表現の自由)に抵触するというのが裁判所の見解だった。この判決はセンセーションを巻き起こした。表現の自由を守るべき側が、犯罪者の「語る権利」を守る結果をもたらしたのだから。
各州はその後、法律の文言を修正し、「犯罪に関する内容」ではなく「有罪判決を受けた者による収益全般」を対象とする形に書き直した。これにより最高裁の違憲判断を回避しつつ、法律の実効性を保とうとする試みが続けられている。
SNS・動画配信時代における新たな挑戦
2026年現在、問題の様相は根本から変わりつつある。YouTubeやNetflix、TikTokの登場によって、犯罪者が刑事施設内から情報を発信したり、出所後に自らのチャンネルを開設してフォロワーを獲得したりすることが現実のものとなった。
アメリカでは複数の実録犯罪系YouTuberが、服役中あるいは仮釈放中の元受刑者にインタビューを行い、広告収益を分配するグレーゾーン的ビジネスが横行している。法律が想定していなかったデジタル経済圏での収益モデルが、次々と生まれているのだ。
カリフォルニア州やフロリダ州では、デジタルプラットフォームにも適用範囲を拡大する改正案が議会で審議されており、プラットフォーム企業側にも「通知義務」を課す方向での議論が加速している。Metaは2025年に自社ポリシーを更新し、有罪判決を受けた重大犯罪者の収益化プログラムへのアクセスを制限したが、抜け穴の指摘は絶えない。
日本の法制度との比較――なぜ日本にはサムの息子法がないのか
日本ではどうか。結論から言えば、サムの息子法に相当する独立した立法は存在しない。犯罪者が自らの犯行に関する書籍を出版したり、インタビューに応じて謝礼を受け取ったりすることを直接的に禁じる法律は、日本には今のところない。
ただし関連する制度がまったく存在しないわけではない。刑事訴訟法や民事の不法行為法に基づいて、被害者側が損害賠償請求を行い、その賠償額の範囲内で犯罪者の財産(印税収入を含む)を差し押さえることは法理論上は可能だ。しかし実際には、被害者が個別に民事訴訟を起こさなければならず、アメリカの制度のような「自動的な収益剥奪メカニズム」は存在しない。
法学者の間では、被害者支援の観点から「日本版サムの息子法」の必要性を訴える声が少なくない。特に2015年以降、凶悪犯罪者の手記や回顧録の出版が相次いだことで、被害者遺族から強い批判の声が上がった。「犯罪者の物語を、社会が消費することへの倫理的責任」を問う議論は、日本社会でも静かに、しかし確実に広がっている。
被害者遺族の声と今後の立法的展望
法律の文字の裏には、常に生身の人間がいる。バーコウィッツの被害者遺族の一人、ヴァージニア・ヴォスケリチアンさんの母親は、事件後30年以上にわたって被害者の権利向上のための活動を続けた。彼女はこう語った。「娘が生きていたら、今年で70歳になっていた。あの男の名前は、もう呼ばないで欲しい。」
日本でも、被害者支援団体「全国犯罪被害者の会(あすの会)」は解散したものの、その精神を引き継ぐ団体が各地で活動を続けている。彼らが求めるのは、犯罪者が犯行によって「有名人」となり、それを経済的に利用することへの歯止めだ。
2026年の国会でも、被害者支援法の拡充に関する議論が始まっているが、「表現の自由」との兼ね合いをどう整理するかは、立法府にとって依然として難題だ。アメリカが最高裁の違憲判断から学んだように、法律の設計は細部に神経を使う必要がある。どの社会にとっても、被害者の尊厳と表現の自由の均衡点を見つけることは、終わりのない知的な仕事なのかもしれない。
本記事は公開情報および法律資料に基づき執筆されました。法的判断が必要な場合は専門の弁護士にご相談ください。 (出典: サム の 息子 法(Yahoo!ニュース))